5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますという話。

新聞奨学生:発達障害の診断は何のため

 新聞奨学生 つづき です

www.goninnkorekara.com

もうひとつの辞めそうな危機はこれです。

 

公休のときに、代わりに行ってもらうコースを記録していないと怒られた

 

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Capri23autoによるPixabayからの画像

公休の日、朝の3時ぐらい?

社員が、いきなり部屋に来て怒鳴り、コースを今すぐ書けと言われた~。

 

息子は、

「そんなの必要ない」

と言うことをきかなかったらしい。

 

んー、これ、なんかよく分からない。

話しをきいたときもよくわからなかったけど、今もわからない。

 

でも、

とにかく、

「俺は悪くない」

「そんなの分かるはずで必要ない」

「誰もやっていない」

息子は、とことんやらなかったらしい。

 

「もう帰れ」

「報告するからな、覚えとけよ」

と言われた。

 

このときは、長男から電話がかかってきて

「俺、追い出されるかもしれない」

「販売店から、電話がいくかもしれないから」と。

 

電話もかかってこないし、

帰っても来ませんでした。

 

これまた、なんだかよくわからないけれど、

専門学校に通いたいがために、2年間の奨学生をやり終えました。

最後には、気難しい社員にも気に入られ、販売店では珍しい壮行会? を開いてくれたとか。

どこでも働けるようにしたよ 

 販売店の威勢のよいおかみさんは

「食事のあとは、自分で食器も洗っているから」

「この子は、もうどこでも働けるようきっちりしつけたからね」

みたいなこと言われました。

 

食後の食器洗いは、スパルタ夫からしつけられていたんだけど・・・。

でも、

そこはにっこり、

「ありがとうございます」と言いました。

わたしもちょっとは大人になっているようです。

けれど、これ、ほんとにありがとう以外の言葉はないです。

2年間、販売店の皆さん、ほんとにたいへんだったと思います。

 

学校に配慮をお願いしても、働ける大人にはなれないけれど

こういう、いろんな子たちを預かって仕事を教えてくれる人たちって体当たり

仕事って、やることがはっきりしているので、うやむやにならないし、

このノウハウを、教育はとりいれたほうがいいのかも

 

あの子が、人の立場を理解するようになり

人の価値基準に合わせて働けるようになったのですから。

必要に迫られてかもしれないですが。

わたしには教えられなかったこと。

 発達障害の情報はあふれている

日々の発達障害の家族のお相手

わたしの場合は、

じわじわ、ずるずると

真綿で首を絞められるような苦しさが今でもあります。

 

たいてい、こちらは被害者感覚

たぶん、あちらも被害者感覚

 

こちらは思います。

  • なんで、こんなことするの?
  • なんで、これしないの?
  • なんで、こんなこというの?

 

そのなんでが理解できると、

あー、なるほど、こういうこと考えていたの、

となって、つじつま合わせてこころ収めていく

一種のあきらめですが。

 

同じ診断名でも、みんな違います。

たくさんの本や解説は参考になるけれど、ぴったりはきていないです。

わたしみたいな人が多いから、情報あふれているのに、さらに新刊が出続けているのかな。

自閉スペクトラム症:孤立型・受動型・積極奇異型

イギリスの精神科医ローナ・ウィングら(1979)の分類で、ASDを3つのパターンに分けています。

  • 「孤立型」人とあまり関わろうとしない。周囲から見て、自閉症スペクトラム(以下ASD)と納得しやすい。
  • 「受動型」おとなしく他者から働きかけられればそれなりに関係が持てる。人に流されやすい。周囲から見てASDと納得しにくい。
  • 「積極奇異型」積極的に話しかけて行くが、そのやり方が一方的で奇妙。積極性があるので周囲から見てASDと納得しにくい。

長男は受動型ですが、小学校4年生ごろまでは、知らない人とも積極的に話をしていました。

そして大人しいのですが、急に怒ることがあり、トラブルに巻き込まれないかと心配したことがあります。

人に流されると自分でも言っていますが、妙にゆずらないところもあり、受動型といえども、そうではないところもあります。

当たり前のことかもしれませんが、

この「型」は、ASDの人を理解するときのタグみたいなもの。

まとめ

援助

配慮

いろいろあるけれど

大事なのは

そのひとを

「人として、わかろうとして、

自分のことも、わかってもらおうとして、

対等に関わっていけるか」

って思っています。

理解するための ひとつのパーツ が診断名であったり、型。

そのための診断 とわたしは思っています。

そのパーツひとつで一気に理解できるときがあります。 

 

理解したいと思っていない人は、相手の診断名を知っても、もともとパーツとして使う気がないですから。

 

そんなこんなで、発達障害の知識を深めることに疲れたとき、

わたしは、自然の恵み、喜びを感じることが助けになるときがあります。

 


色で見わけ五感で楽しむ野草図鑑

 


美しき小さな雑草の花図鑑

 

近くの生物から、いろいろな教え、ひらめきをもらいます。

 

そしてもうひとつ

巡り合わせ、人との出会いです。

なので、

「外に出ていける元気さ」

なんとかして保ち続けること。

そのために、必要なら学校から、

あるいは、特定の人から距離をおくときも必要と思っています。

 

そして、…と、まだありますけどやめときます。

 

だれか、この思いを受け止めてくれる人がいるなら、しつこく話し続けたい(笑)

 

今は、たくさんの出会った方々に感謝! 感謝! 感謝!