「俺、別に話すことないけど」
自閉スペクトラム症(ASD)一家、子どもたち3人は大人になり、元気に生活していますが、3人共通していることのひとつは、友だちが少ないこと。
「ともだちは何人いるかより、お互いに話したいと思える人がひとりでもいたらいいのでは」
「何でも話せる友だちって、みんなそんなにたくさんいないです」と人にはいうのですが、うちの子どもたちには言えない言葉。
子どもたちに友だちが少ないから言えないのではなく、友だちの人数がどうのこうのという観点ではないので的外れで言えないのです。
ここでは、長男の会話の様子に関連し、わたしの捉えを書きます。
自閉スペクトラム症と言われても、つかみどころがないと感じる方に、ひとつの捉え方を示すことができればと思います。
- 友だちどのくらいいる?
- 長男の友だちは、こんなかんじ
- 高校生のときの ひとコマ
- 新聞奨学生のとき少し目覚める?
- 家族以外の人と話すときは「はい」か「いいえ」
- 自閉スペクトラム症(ASD)、会話の難しさ
- 受身の自閉スペクトラム症である長男に対して
- 大人の自閉スペクトラム症
友だちどのくらいいる?
うちの子たち、友だちいる?
ひとりいるかいないか、そのひとりも何でも話せる関係とは違うよう・・・。
自閉スペクトラム症(ASD)の子たちの友だち観をまとめて括ると、はずれが多くなりそうです。
その人により、以前の失敗、その人なりの捉え方、その人にとっての大切なだれかとの関わりで通じ合えていたかなどにより、随分違ったあらわれになるように思います。
うちの子たちも三人三様です。
長男の友だちは、こんなかんじ
ほんの一例でしかないことを強調したうえで、長男について考えてみます。
家族と過ごすときは、けっこうおもしろい冗談をいうし、話題も豊富で、主張もします。
「もう全然OKでしょ、この子」と思うのですが、一歩家を出ると、
「あー、そうだった、皆と同じことを期待しちゃだめ~」と思いだします。
長男が小さいとき、わたしはコミュニケーションを問題視していませんでした。
男の子はこんなものだろうと思っていました。
学校がうまくいかなくなったころと、友だちと言える人が極々少なくなったころは重なります。
長男は自分でも言っていましたが、完全に受け身で、人を誘いません。
それでも、声をかけてくれる人がいたときは、友だちがいました。
気は優しいしあまり反発しないようですし。
その友だちは、だいたい次の3タイプ
・一緒に悪さをしていた子
・博愛的な優等生、担任の先生にお世話を頼まれていたかもしれない
・とてもおおらかで積極的な子
高校生のときの ひとコマ
中学のときの山村留学で、仲間と遊ぶ楽しさを味わい、わたしからみるとメンタル的に絶好調にみえた高校生のときのことです。
ちょっとした知り合いの集まりに家族で参加していました。
わたし:「さっき〇〇さん、あなたと話そうと思って声かけてきたのわかった?」
長男:「俺、別に話すことないけど」「どうして俺に声をかけてくるのかわからない」「かあさん、俺にどうすれって言うの?」
という感じ。
「かあさんだから話ししているけど、もし母さんじゃなかったら話はしないよ、これ意味わかる?」とか言われていました。
なんだか、力が抜けていきました。
何をどう伝えたらいいのかと。
プラスに考えると、ここまではっきり言えるのは家族だから?
わたしが相手だから。
外では、不承不承でも従うようになっていた時期なので。
新聞奨学生のとき少し目覚める?
長男は、高校を卒業後、専門学校に行くため、新聞配達奨学生になり、住み込みで働きはじめました。
1か月もつだろうか・・・。
違約金として、授業料の返還をいつでも払えるよう準備をし、身体と心を壊す前に、連れ戻す覚悟もしていました。
はじめのうち、部屋が足りず一部屋を二人で使うことになりました。知らない人と二人部屋なんてだいじょうぶかぁ? と思いましたが、なんとかやっているようでした。
本人から電話がかかってきたことがあります。
「あのさ、なんか話したほうがいいと思うんだけど、何を話したらいい?」
同室の子も極端に口数が少なかったようです。
毎日お互いに口をきかずに同室にいて、「なんかなぁ」と思ったそうです。
笑っちゃいました。
よく話しかけることが思い浮かんだなぁと。
毒を以って毒を制すってかんじでしょうか。
同じように無口な人と同室にならなければ、自分から話しかけようと一歩踏み出すことはなかったと思います。
家族以外の人と話すときは「はい」か「いいえ」
最近の会話はどうかというと、小さいときからずっと顔を合わせてる親族にも「はい」か「いいえ」で答える程度で、相手の質問に対して話を広げるというより、相手が質問してYES、NOで終り(笑)
自分から話しかけることもないので、会話じゃないですね。
でも、顔をにこにこさせて、気を使っていること、努力していることがわたしには分かります。
仕事では、理解のある上司が目をかけてくれているようです。
雑談はしないけれど、業務上のことや目的をもった会話はできているのでは・・・と思っていますが、実際のところはわからないです。
仕事って共通の話題があって、一緒に愚痴れるので仲間意識もできるし、いいなぁって思います。6年ぐらい同じところで働いています。
自閉スペクトラム症(ASD)、会話の難しさ
長男のことをちょっと脇において、ASDと診断される方々の会話の難しさについてです。
友だちがほしいことと、コミュニケーションをとることが繋がっていない場合があります。
そもそも、友だちというものがどのような関係かが分かっていない場合もあります。
なかには、友だちがほしい、彼女がほしいと願い続け、
それらがかなわないと、
自分の価値の低さ、あるいは周囲のせいにして片付けてしまうときがあります。
1対1は話せても人数が増えると情報を整理できなくなる方も多いです。
その他にも、ここでは触れませんが、あまりにいろいろな状態、状況があります。
そんなのんびりやっていられない、
今すぐなんとかしたいのにという状況の方もおられると思います。
そういう方は「お問い合わせ」をお使いください。
受身の自閉スペクトラム症である長男に対して
母親として彼に関わってきて感じていることをまとめると
- コミュニケーションをとることの必要性を説明することで本人の行動がすぐに変わることは少ない。
- 伝わらないからといって何も言わないと、疑問も葛藤ももたないため、ゆるく変わっていく機会を失う。
- 理屈抜きに、「〇〇してほしいと思っている」と伝える。
- 伝えたら、こちらはいったん引き、やるかどうかは本人に任せる。
- やらないと断っても、返事をしなくても、忘れたころにやり始めることがある。相手の意に沿いたい思いはあるが、納得できるまで時間がかかるからかも。
- 納得するために最も効率が良いのは、自分からやろうとすること。やりたい気持ちを育てるために、親がいかにきっかけをマネージメントし、直接関わらないで必要なときだけ後方支援をできるか。
でも、いつもうまくいっているわけではありません。
大人の自閉スペクトラム症
帰省した次男は長男が大好きで、長男が家にいると分かったので帰る日を一日延ばしました。その日、長男は少し一緒に遊んで、夜、いつものゲーセンに行ってしまいました。
そして、後日次男が戻って行くときのお見送りをスルーしたのです。長男は、みごとに自分のペースを変えないなぁと。
けっこう的をついたことを言う長男。
もしわたしが、「お見送りしてほしかったな」とか言うと
「また来るんだから、そんな意味のないこと必要ないでしょ」と言いそうです。
「気を付けて行けよ」と見送りすることは意味があると思うのですが。
さあ、この長男に、どのタイミングでどんなふうに伝えると心に入るだろうか。
そんなのサラッと言えばいいこと、たいしたことではない、と思われそうですが、さらと言ってスムーズに「あーそうだね」とはならないのです。
長男の特性を知らない人は、非常識、無関心、人との繋がりを気にかけないと捉えると思います。
分かっているつもりのわたしも、
自分たちは、どこかから帰ってくるときいつも温かく見送ってもらっているのに。
こどものときは、皆でお客さんを見送りしていたのに。
殺伐としていない? これ!
いつのまにこんなふうになった? って寂しさを感じます。
特に何の困りもないけれど、こういうちょっとしたことはずっと起きます。
大人の自閉スペクトラム症の家族問題が起きるのは、
こういうちょっとしたことから。
相手に淋しさ、怒り、困惑を与えていることに当人は気付いていない。
そして、
相手には、じわじわと、ボディーブローのように効いていくからだと思います。