ADHDやASDタイプって断捨離どうなんでしょう
わたしのもやもや解消法は、部屋の模様替えでした。
ママ友と話していると、同じようなタイプの人がけっこういます。
模様替えのときは、ながれで物を捨てること、整理することになり、これまたいい気分転換になります。
それが、あるころからあまりしなくなりました。
わたしはADHDではないけれど、ASD傾向はあると自己診断しています。
わたしのようなタイプの片付けにまつわることとして断捨離を中心に考えてみました。
断捨離とは
まず、断捨離とはなにかについて。
断捨離という言葉、いつごろから耳にするようになったのでしょう。
たぶん、2010年に新語・流行語大賞にノミネートされる前後からと思います。
わたしにも、どこからともなく聞こえてきていましたが、単に必要なものと不必要なものを種分けし、不必要なものは容赦なく捨てるというイメージでした。
なので、「そんなの今さら」、「~関係ないわ」って聞き流していました。
それが、3~4年前、友人が断捨離とは何かを熱く語るのを聴く機会があり、少し気に留めるようになりました。
検索すると膨大な量の情報があり、書籍、講演の知らせも目に入るようになりました。
参考のため、ウィキペディアから「断捨離」の要点を抜粋します。
ミニマリストと断捨離は違う。
ミニマリストは、必要最小限を目指す表現スタイルの人。
断捨離は、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的。 断捨離 - Wikipedia
自分にとって「本当に必要なものなのか」を見つめた結果として、
「断」つ、「捨」てる、自分から「離」すということのようです。
なるほど!
それでわたしは、断捨離に思想的なものを感じたのですね。
また、友人が、断捨離で生活に潤いを感じるようになったのは、何かを見つめ直し重荷を下ろした結果と思いました。
わたしがしていた種分け、不要品の処分は、ただのお片付け。
でもわたし、今は、断捨離をしようと思っていないです。
それは、今ある自分で作り出した重荷ともうちょっと一緒にいたいと思っているから。
わたしが断捨離するとどうなるか
断捨離の神髄を理解していないかもしれませんが、
物は「何か」の象徴になっていて、
物を捨てることにより自分本位な「何か」に気付き、それと離れていくってことかと。
あるいは、捨ててから何を象徴していたのか気付き、そうして離れていけるのかと。
「私が断捨離するとどうなるか」をちょっと考えてみました。
- 本当に必要なものかを考えるとき、考えたつもりでいて衝動的(思いつき)に決めてしまう自分がいます。
- 自分にとって不必要と思って捨てたあと「やはり必要」となり、捨てたと同じような物を買うことになる
- 断捨離の過程で収納場所が変わり、探すことが増える(そもそも、捨てたのかとっておいたのかが分からなくなる)
これら、もともとわたしに起きていることです。
断捨離をするとき、もともと持っている不注意気質が邪魔していくように思います。
- 葛藤が増える
必要最小限の生活をするミニマリスト的な生活志向のわたし。
わたしの範囲には、捨てる物そんなにないんです。
年齢を重ねるにつれ、さまざまな仕事、役割をもつようになります。
その役割により服やら備品やらがいります。
捨てたくても捨てれない役割があることへの葛藤に苦しみそうです。
ASDやADHDの断捨離
やっと、本題にはいります。
たとえば、わたしは冒頭で紹介したように、ADHDではないと思いますが始める前から難しいと思える点がみえています。
わたしの問題はたぶん過集中。
自分の考えや思いへの集中のしずぎで、考えが狭くなり衝動的になったり、不注意になることが多いです。
部屋一つ、あるいはタンスひとつなど限定された範囲はうまく整理できるのですが、範囲が広がるとキャパオーバーになるって自覚しました。
それで、今はちょこちょこっとするだけで、全体には手をつけることができずにいます。
- 物が増えすぎたのか
- 脳の動きが悪くなったのか
- わたし以外の人の物が気になって途中で対象範囲が変わりそうになるからか
結局、ここのところ、心が整理されていなくて、何が大切なのかが見えなくなっているってことなのかもしれません。
片付けもうまくいかなくなったときに、いきつくところは、断捨離的に自分をみつめるってことなのかな。
人の物については執着がないので、容赦なく必要、不必要を分別できるのがその証拠かもしれません。
と考えると、ASDやADHDかで、断捨離できるできないを考えるのではなく
- その人は整理のしかた、処分方法などの知識や理解があるか
- 断捨離について、本も含め、だれかの助け、励ましがあるか
が大事ではないかと思います。
断捨離はだれかに助けてもらおう
片付けはひとりでするのが普通って考えが一般的ですが、ひとりでの断捨離は途中半端になってしまうのではないかと。
断捨離という技術(「行」)を、その人に合わせたサポートをつけ、楽しみながらやることがよいと思います。
そして、爽快感を本人が味わえるように、まずは一部分からでも。
助けてもらう注意点
念のため、「楽しみながら」というのは、
せかしたり、怒ったりしないこと。
あのときも片付けしなかったでしょなど以前のことをぶり返して注意しないこと。
特に親子の場合、要注意です。
過去に片付けでもめていると、お互いにトラウマのようになっていますから、第三者が助けてもらうのがベストです。
また、ASD傾向の方のなかには、本を片手にひとりで取り組む方がやりやすい人もいますし、あくまでもその人に合わせて。
年末のこの時期に断捨離にはいると、時間に追われ収拾つかなくなりやすいので、年があけてからゆっくりみつめるっていうのがいいかもしれません。
これらの注意点は、おもにわたしが失敗から学んだことです。
ブログの断捨離
わたしは、断捨離のひとつとしてブログ記事を整理しようと思います。
どうしてか?
グーグルアドセンスに落ち続け、諦めようかと放置していたのですが
ふと、アドセンス合格についてのブログを読み、このままも悔しいかなと思い始めたからです。
だめもとがわたしのポリシーのひとつですし。
とりあえず、だめそうなところは
- 自己満足路線
- 信憑性という点で弱そう
- 同じような内容がくり返されていると判断されているかもしれない
- なのしろ雑記
- ブログ初心者で、いまだに使いこなせず、PC表示で消したのにスマホでは消えないなど、いろいろ怪しい
まずはこの機会に、記事を減らしてみようかと。
気が変わらなければですが・・・。