5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますという話。

17年まえ、長男の不登校

長男、次男、末娘の3人は不登校でした。

最初に不登校*1になったのは長男。小4のときです。

もう17年も経つんですね。

 

寝つきと寝起きの異常な悪さ 

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esudroffによるPixabayからの画像

しばらく泣いてからやっと寝て、

昼ねから目覚めると、短くても30分は泣いていて、

ときどき後ろエビになって泣いていて、

落としそう。

あれだけ泣いていたら今なら通告されています

 天才児? 

 数字や言葉を覚えるのが早くて

「天才児かも」と思っていました

 突然落ちる2歳児

室内用ジャングルジムのトップにすわり、

DVDを見ていて、

いきなり床に落ちるんです。

体の力が抜けた感じで声もださずにボトっと。

集中しすぎで身体ここにあらず?

これも「天才ゆえ」。

いきなり床に向って突進、鼻血が出る

いきなり助走つきで床に向って突進し、

頭をゴンゴン打ち付け鼻血が出てるんです。

このときは、床に布のマットが敷いてあり、

ふとんの感覚で頭つけたら、固い! そんなはずない!

と試すうちにぶつけることに集中したみたいな・・・これも「天才ゆえ」(笑)

マットをしまうとやらなくなりました 。

わたしは長男と発想が似ているので、こう想像したんですが。

なんとなく分かった気になれるのはASD傾向の親ならでは、

とわたしは思っています。

 定時に公園通い、楽しい幼少期

家にいると何かが起こるので、

毎日仕事のように公園に通うことでやっていけたのです。

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yu62ballenaによるPixabayからの画像


砂場やぶらんこで集中して遊んでいて、 

彼のペースに合わせていたので・・・

石をみつけて座り込めば、ある程度気のすむまでそのまま。

ママ友には、彼の集中力を羨ましいと言われ、

ものはとりようですね。

公園は親子とも楽しかったです。

ごはん➔公園➔ごはん➔お昼寝➔ごはん

このパターンが平和の基盤でした!(^^)!

 

毎日、絵本の読み聞かせをすると、

食い入るように見ていて。

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Bruno GlätschによるPixabayからの画像


ブロックは基本、飽きずにずーっと遊んでいて。

プラレールは6畳間全部を使いわたしたち大人が作るのにはまっていました。

長男は、たいてい壊さないようにしていたような。

こうして思い返すと、顔色見れるときもけっこうありました。

 夜驚症

赤ちゃんのときから、

ちょっとしたことがきっかけで泣く、叫ぶがあったのですが。

小学校低学年のときから2~3年間、

夜寝てから、むくっと起き上がり

家じゅうをねずみのように走り回り、叫び、空中を目で追い

そわそわ、わなわな、何やら意味不明のことを言うんです。

これ夜驚症ですね。

わたしが、それをみてびっくりしているうちに、

夫が長男をむんずと抱え込み、風呂場に連れて行き、

シャワーかけて「起きろ!」と怒鳴っている(~_~;)

「目を覚まさせないとだめなんだ」と夫は怒っていて。

「そこまでしなくても」

「シャワーかけても目が覚めてないよ」とわたしが言うと、

夫は「じゃぁ、どうしたらいいんだ」と怒鳴ってます。

これ、夫もちょっとしたパニック状態ですね。

その間も、子どもは手をひらひらさせ「上から降ってきて」とか言っていて。

30分もすると少しずつ落ち着き始めるのですが、

夫の三角の目と声と勢いは 子どもの夜驚より怖かった!

夫は不安だったんでしょうね。

・・・わたしも不安でしたが・・・

 夫は長男の「なにか」に気付く

夫は「この子変だ」ってうんです。

わたしは、天才児 だと思っている

「子どもは気になるほうに走り出すのは普通よね」と。

夫のいうことに耳をかさず(笑)

よくぞ気付いてくださったのに。

 掃除当番をさぼる

親のいうことは、普通はきいていました。

習い事もうまくいっていました。

あるとき担任から電話がきました。

「掃除当番中に、体育館を走って遊んでいたので注意したが認めない」と。

 

担任は長男に

「お腹が痛かったら保健室に行くだろう、どうして体育館に行くんだ」

と何度も説明したようです。

 

長男はわたしに

「何度も説明しているのに」

「僕は何回も何回も説明したんだ」

と真剣です。

わたしは、子どもは嘘は言っていない。

確かにその通りだったと思いました。体育館に着くまでは・・・

 

担任は

「彼はうそをついている」

とわたしに訴えます

 

担任は

「ぼくは嘘をつきました、体育館で遊んでいました、ごめんなさい。

これから掃除をさぼりません。」と言わせたかったのかもしれません。

 

担任が長男と話す目的は、今後そうじをするよう指導することだったと思うのですが。

謝らせることが目的になると、うまくいくはずはなく、

たとえば

「信用されていないのはどうしてかな?」

「いままで掃除をさぼったことがあるか?」など

受け止めてから話し合えば、悪気がないのですぐに分かると思うのです。

先生にも余裕がなかったのでしょう。

 

わたしには、彼なりの理由になるほど~

と思えるところがあるのですが、

そんなこと受け止める人なんてめったにいませんから世間には通用しないです。

なので、他にもいろんなことが学校で通用せず、

周りは敵だらけになっていきました。

その担任は、4年から卒業まで。

 学校を休みがちになってから

フリースクールや公的な不登校児向けの教室、小規模校へも見学へ行きました。

見学先の方は、値踏みするような目で子どもの様子を見ていました。

まだ発達障害について浸透していない時代で、

説明や対応はしっくりこないし。

結局、そのまま、ときどき学校に行き小学校を卒業しました。

 

元気でキラキラしていた長男は、

小3のときに時計の針が止まっていたようです。

気持ちや行いが、

内に引っ込んで、

意欲がなくなりました。

 

中学進学のとき特別支援学級も検討しましたが、

「みんなと同じ中学に通いたい」というので通常学級に通うことにしました。

大きな転機は山村留学ここからは、長くなるのでまた今度。 

大人になった今の様子

親もとを離れ新聞奨学生れが第2の転機

 

地元に帰ってから、アルバイトをしていました。

何年か働いて、資格試験に合格し、その会社の契約社員になりました。

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Alexandra GarciaによるPixabayからの画像

電車は嫌だと自転車で40分くらいかけて通勤していたのが

「スーツでは無理」と電車に乗るようになりました

 

「残業なんて有り得ない」

「将来はホームレス」

「そんな働いてばかみたい」と言っていたのが

残業しているんです

 

黒しか着なかったのに、

年々カラフルな色を着るようになっています。 

ASWDとは

ASWD*2という概念を本田秀夫さんが提唱しています

「ASWDの人たちは、自分の個性にあった職業に就き、無理のない生活スタイルを身につけて、自覚的に不安や鬱を呈することが少なく、周囲からみると社会的に逸脱しない」

本田秀夫(2012)「併存障害を防ぎ得た自閉症スペクトラム成人例の臨床的特徴」精神科治療学より抜粋

まさにこれです!

 

アルバイトを探すとき、

「『いらっしゃいませ』なんてあり得ない」

と、自分を分かっていました。

自分のことがわかると、必要以上の無理をしないですみます。 

今、それなりに生活を楽しんでいます。

 

ジャニーズ系かと思っていたら、

お腹が出てきて、

すっかりおやじになってしまいました。

でも幸せそうです。

 

奇跡の裏にあったことはまたそのうち・・・

*1:病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した人

*2:Autism spectrum without disorder 非障害自閉スペクトラム症