5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますという話。

兄弟の葛藤と次男の不登校

次男はおだやかでにこにこ、動きはゆっくり

勝手にいきなり跳ねるように歩き出した長男とは対照的で、

大人が手をとり少しずつ歩けるようになっていきました。

言葉にしても、

10か月ごろ「おかあしゃんだいすき」と初語でしゃべった長男と違い、

2歳過ぎてから少しずつ2語文が出てきた次男。

長男と次男の小さいころを思い出してみました。

 

兄弟を比べるのは悪いこと?

子育ては母性本能でやろうとするから、疲れていなければいつも一生懸命。

自分の経験も活かしてフル回転しないとやっていけない。

兄弟を比べるのは

子どものできないことを責めるためではなく、

子どもを理解するためだとしたら必要なことだと思います。

やたらとまとわりつく2歳の次男

台所で料理をしているときも、

洗濯物を干しているときも、

私が止まっているときは、

いつもいつも、わたしの足に、モチャモチャまとわりついているんです。

わたしは、動くとき、

モチャモチャの中に埋まっているわたしの足を抜くようにしていました。

告白すると、つい足払いも、何度か(^_^;)・・・ 

次男の湿疹

次男は生まれて1か月ごろには、全身に発疹ができていました。

長男も同じころ湿疹が出て病院にいきましたが、薬で少しは治まりました。

次男の発疹はもう少し大きめで、

薬を塗ると違うところにもっとひどい湿疹がでます。

そして、それが繋がってどんどん大きくなりました。

そうして、ジクジクしてきます。

眠りは浅く、

夜は何度も目を覚まし泣きつかれて

少し寝ては起きてを繰り返しです。

口コミで良い評判の皮膚科をききました。

そこに通院し、食事内容や体調を記録するようになりました。

母乳からの影響を調べるため、わたしの食事内容も記録します。

そうして少しずつ、湿疹を悪化させる食品をみつけていきました。

米をアレルギー米に替え、

新鮮な白身魚、赤身の肉を日替わりで食べ、

油にはとくに気を付けていました。

市販のカレールーはもってのほかで、

お手製あっさりカレースープを作っていました。

陰陽重ね煮*1の野菜は、重曹パンを作るときにも利用して、

誕生日のケーキは重曹パンに豆腐クリームで飾り付けし、

いちご一パックつきです。

おやつは、枝豆、にぼしがメイン。

どれも、わりとおいしいんです。

家族もほとんど同じ物を食べ、

部分的に別のものを用意していました。

小学生になってからは、外での制限はなくし、

家では、スナック菓子や清涼飲料水を買わない程度。

家族皆と普通の食事ができるようになりました。

小学3年ぐらいからは、

ハンバーガーやアイスもときどきは食べるようになりました。

 

それなりに満足させていたと思っていたのですが、

高校で寮生活になったら

コーラやサイダーを買い込み、スナック菓子のバカ食いしていたらしいです。

「三つ子の魂100までも」なんでしょうか、

食べたかったんですね。 

授乳中に飛来物、生後一か月にならないうちに受難

次男はよく母乳を飲む子でした。

退院し少し落ち着いたころ、

いつものようにジュパジュパ母乳を飲んでいると

次男に向かってブロックが飛んできて当たるのです。

長男が無表情で投げる

➔次男の飲むのがピタッととまる

➔わたしが長男をおこる

➔次男飲み始める

これが何回も何回もあり、

あるときわたしは、わなわなと身体の底から怒りました。

そうすると、その後しばらく次男は飲まずに固まっていました。

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Steve BuissinneによるPixabayからの画像

飛んでくることより、

わたしの激怒のほうが悪い影響だったかもしれないですね。

もちろん、わたしがどう怒っても、

少しすると、また長男はブロックを投げます。

生まれてすぐから気の毒なことしました。

長男のニタリ顔

2歳の長男をお昼寝させるために添い寝していたときです。

次男がベビーベッドで泣いています。

わたしはもうすぐ長男が寝るところと思い、泣かせたままにしていました。

そうすると、寝つく寸前にみえた長男が、ニタッと笑うんです。

これが何度もありました。

はい、わたし爆発!

「弟が泣いているのがそんなにおもしろいのか」。

これ、ほんと頭にきて

「なんて嫌な子だ」と心底思いました。

でも、こういう子どもの行動って、動物的で単純なことだったんですよね。

長男にしてみれば、

いつも自分中心だったのが、

急に小さいのが現れて、おかあさんが小さいのを相手をしているんですものね。

お母さんやっていると、

こういう子どもの行動を大人感覚で判断してしまいます。

良い悪いを示すだけの正当な対応してしまいます。

正当な対応が通じないとき、親は追い詰められます。

 異物の次男VS長男

まあ、そんなこんなで

長男は次男を異物として扱うことがけっこう長く続きました

長男が4年生のとき、

校門付近で、次男は長男をみかけ、後ろから叩きました。

ひごろのにくったらしい気持ちをぶつけたのかな? 

それに怒って、長男が仕返しに、次男の頭をガンガン叩いているところを6年生が見ていました。

今度は、長男が6年生から怒られて泣いていました

その泣いているところを、たまたまわたしは目撃! 

 

長男は

「こいつ、おれの弟だから」

「叩いてきたから」

と説明したらしいです。

 

6年生は「そんなの関係ない、弟でもこんなに叩くのはだめだ」と許してくれなかったと。

すばらしい6年生! 親より教育力あります。

ときどき、わたしが言っても通じないことを、

夫が話すとすんなり入ることがあります

わたしは話が長いんでしょうね。

怒る理由とか説明したくなって。

こうするんだよってあっさり言うだけで充分なことが多いです。

 

兄、弟の関係、中学ぐらいまではほんとに仲が悪くて、

けんかするわけではないけれど、

ふとしたときに、相手を人扱いしないところありました。

学校が嫌だったうさばらしもあったのかもしれませんが、

長男はそのときのこと覚えていないそうです。

結局、わたしは次男を守りきれていませんでした。

というか、私の爆発は悪影響与えていたと思います。


次男の不登校

次男のいろいろなこと、 

生まれたときからの落ち着かない環境や食事やおやつの制限。

こういう抑圧が多い生活の影響かなぁと今は思うんです。

幼稚園では登園しぶりがけっこうあり、

小2のころも登校渋りで、遅れて学校に連れて行くことが多くなりました。

小3、小4のときは、遅れることがもっと増えました。

ときどき行きましたが、

病気、経済的な理由以外で30日以上休んでいたので不登校ってことになります。

 

長男と違うところは、

行かない理由をいろいろ言うことです。

こんなこと言われた、あんなことされたって言います。

どの先生もとても丁寧に対応してくれました。

「学校に入ればだいじょうぶだから」

「とにかく来させて」と言われるんです。

これ、学校の決まり文句ですよね。

でも、やっぱり登校できないんです 

長男の診断のきっかけ は次男の言動

当時の次男の診断は、

広汎性発達障害学習障害、注意欠陥障害(多動はない)です。

今でいうASD 、LD、ADHDです。

 

「え~、なにそれっ? この子話は通じるんですけど」って思いました。

「この子のおかげで長男のずれに気付いたのに、この子も発達障害なの?」

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donations welcomeによるPixabayからの画像


長男の診断のきっかけは、娘が折り紙で紙コップを作っていたら、

長男がいきなりそれを取っていき水道から水をいれようとしたことです。

 

わたしがやめさせたとき、

長男は

「コップだから水を入れるのはあたりまえだ」

「いちいち妹にきく必要はない」

「何が悪いんだ」

まったく道理が通じないんです。

 

そのとき次男は

「だめだよ兄ちゃん」言いました。

「弟がわかることを3年生がわからない」

「反抗心やいじわるではなく本気で言っている」

「これ、やっぱり変」

次男の言葉が、わたしの目を覚ましてくれたのです。

 嘘ばっかり

小学、中学の次男の素行は、こそこそとあやしくて。

何しろ嘘が多くて

悪いことをみつけて暴いて、

ひとつひとつ大ごとにしてあげれたとは思うのですが、

みつけていないこともある? 真実はわかりません(*^_^*)

次男は、小学校のときは小児うつ、

中学のときは気分障害

弱い睡眠薬飲んでいました

医師は統合失調症の発症を疑い経過を見ていたようです。

次男、おとなになった今の様子

彼は、不安の強いことが幸いしたのか、

お金が大好きで、たくさん稼ぐことを目標に

難易度の高い資格をとりまくり、

正社員としてお金たくさん稼いでいます。

彼の転機は山村留学

そして全寮生の高校です。

これについて、また今度 。

 

 

*1:キャベツなど土の上にできる野菜を一番下にして、順に土の下にできる野菜を重ねて煮る