「学校に行きたくない」と言われたら休ませるのがいいって本当?
「学校に行きたくないと子どもに言われたら、休ませるのがいい」ってよくききます。
私が子育てしていた15年位前は、そういうことを言う親は
教育力がない
だから不登校になる
って言われました。
わたしも面と向かって、影口でも、何度か言われた言葉です。
あれから15年以上経ち、
仕事で学校の困りごとに関わることもある今、
一昔前と同じようなこのセリフを耳にすることがあります。
でも、不登校経験がある子どもや親が口にする言葉が取り上げられることが増え
同じような発言をする医師や支援者も増えているという実感があります。
休ませていいよ。
命を危うくさせてまで行くところではない。
こどもの気持ちに寄り添い無理をさせてはいけない。
って。
そうですよね!
休ませていい!
これ賛成です!
でも、異論はありませんか?
わたしは、少しプラスしたいことがあります。
それはその子によって違うということです。
こういうと、おもいっきり反対されそうですが、
どうして付け加えたいのかをまとめます。
『学校にいきたくない』と子どもに言われたときに考えたほうがよい大切なこと
「学校にどうして行きたくないか」を聞く前に、子どもがどう思っているかを優しくききとる
といっても、理路整然と子どもが話すことは期待できません。
自分がどう思っているのか表現できない、自分の思いに気づけいていないこともあります。
親を心配させたくなくて言わないこともあります。
親の追及を逃れるためにその場限りの理由を言うこともあります。
とはいえ、はっきり分からないと、なおさら親は理由を問いただして納得したくなり、行くか、行かないかの二者択一になりがちです。
これを急ぐとこじれることがあります。
そもそも、こういうことは、一心同体になりがちな親がするのは無理があると私は思います。
家族以外でないとこの役目を果たすことは難しいと。
ASD、ADHD、LDなどの傾向があるかを見極める
調子がよいときは全然気が付かなかったのに、何か問題が起きたとき急に全部だめになってしまう子がいます。
思わず発達障害を疑いますが、大なり小なりそういう部分を人は持っています。
発達障害があるかないかに気を取られると、ドツボにはまることもあります。
何かそういう傾向がありそうなとき、考え方や状況のとらえ方に誤解があるかもしれません。
そこを見つけたら、それを理解するために発達障害の関わり方を参考にすると役立つと思います。
ほかの子には通じていない何かがあるかもしれません。
場合によっては、心に負担を感じていいないこともあります。
班の話し合いで俺になんの説明もなく勝手に決めておいて、決めたことにには従いなさいっていわれた。
いうことを聞けないなら出ていけと言われたから、出て行ったら自己中心的で皆に迷惑をかけていると怒られたと。
こういうのよくある話ですが、これは、もとを正すと、
・話し合いのときの暗黙の了解がわかっていなかった
・言われたことを真に受けてさっさと出たけれど、先生に許可を受けていなかった
それだけのことでした。
このころは、まだ心に負担は感じていませんでした。
学校の中は敵ばかりと思い始めたころで、休ませてもなんの解決にもならない時期でした。
当時、長男のASDに気づいていませんでしたが、
今なら、初めからこういう問題が起きることを想定して、内容の決め方を説明しておくとか、大人が入るとか、事前に先生に助けを求める取り決めをするとか普段から関係を築けばなんとかなる程度でした。
こういう子たちは、ただ休ませても同じことを繰り返し周りに嫌われ居場所がなくなるだけです。
子ども以外から情報を集める
子どもの年齢に関わらず、本人には見えていない、わかっていない状況があります。
学校の様子、実態を確認することがこれからを考えるとき、とても役に立ちます。
担任との話し合いも大切ですが、その前にクラスの子やママ友からの情報で、子どもの置かれている状況がわかることがあります。
それをもとにすると、担任と何を話したらよいのかがわかります。
これは、ADHD、ASDなどの特徴がある子には特に必須です。
先生は親に対しても不信感があることが多いです。
広い情報があると、必ずある先生に見えていなかった状況を伝えることができ、保護者に見えていなかった情報も見えてきます。
いじめが疑われるときは、とにかく学校は休ませる
いじめを受けていても学校に行きたがる子はいます。
いじめを受けていることに気づいていない子も。
ひとまず休ませ、何が起きているのか知ることは大切です。
ついでにもうひとつ
いじめられていると言っていたのに、実は自分がいじめをしていることも。
ここも、教師以外からの情報を集めると意外なことがわかることも。
いじめられていると訴えていた次男とわたしが学校から帰るとき、
次男のクラスメイトから
「次男が人のおやつは食べるのに、自分のは絶対くれない、いじめられた」
という苦情を言われたことがあります。
次男にとって都合の悪いことを何度も言われるのはいじめという受け止めだったのです。
また、涙ながらに息子にいじめられたと親に訴えていた子は、母親を自分に振り向かせるために言っていたということもありました。
家だけではわからない子どもの実態、家で教えられないことの多さに気づいたことを覚えています。
子どもが本当はどうしたいかを知る
「~子どもがどう思っているかを優しくききとる」と関連しますが、微熱が出たり腹痛が起きたりと身体が嫌がっていたら、とにかく休ませるしかない
というか、
行かせようとしても行けないですから。
無理をさせなければ、自分から戻っていく子たちも多くいます。
少し落ち着いたら、行くか、行かないかではなく、
本当はどうしたいかに合わせ、無理なくできそうなことを探します。
親は、問題探しではなく、その子を理解したいというところに照準を合わせていきます。
学校を休ませることが子どものプラスにならない場合がある
いくつかのパターンをあげただけですが、学校に行きたくないという一言の裏には、いろんな子のいろんな状況があるってことだと思います。
「②ASD、ADHD、LDなどの傾向があるかを見極める必要がある」に書きましたが、コミュニケーションのやり方が周囲の成長度合いとずれがあるとき、単に休ませると失敗体験で終わりコミュニケーションを学ぶ機会をなくすだけになることがあります。
いくら家で休んで元気になったように見えても、集団に入るとうまくいかないことが続き、だんだん人を避けるようになります。
また、 悪気がないけど、目の前の気が進まないことを反射のように避けるタイプは、できない不安や助けを求められない性質があるかもしれません。
学習のつまづきがあることもあります。
逃げることが必要なときもありますが、うまく逃げることができると、今後も同じ方法で解決しようとするかもしれません。
これは、さぼり癖でなはく、生活や学習と関係がある場合が多いです。
自分で解決していける子はよいのですが、自分を客観視できない子は周囲も助けるポイントが見えにくくなる場合があります。
こういう子は、休ませるだけでは解決できず長引くことがあると思います。
息子は、これらが混ざっていたように思います。
そのまま休ませていたら、いくら学校を休んでも集団に入ることはできなかったでしょう。
もうこじれていましたし。
まとめ
学校に行きたくないといわれとき
一律に休ませるだけでは、
立ち止まって大切なことを考える機会を失うかもしれない
というのが伝えたかったことです。
「学校に行きたくない」にという言葉は、必要なこと気づくチャンス!
と思います。
親がすべてを分かっているわけではないし
学校がすべてを分かっているわけでもないと思います。
お互いに決めつけないで話し合えると
先が見えてくると思います。
子どもの対応、情報を集めようにもフルタイムで働いていて時間がとれないこともあると思います。
ママ友、子どもの友達と関わる機会がないこともありますよね。
そんな正論、わかっているわよって言われそうです。
でも、学校は正論で対応していくのが効果があるところではないかと思います。
そして、これは、あくまで一例。
自分のできるところで、工夫しながら関心をもつことで、なにか関わるヒントが見えてくることがあると思います。
子どもは成長の途中
大人だって生涯成長していきますので成長の途中
完璧な関わり、完璧な親、子、教師なんているはずないですし。
つい、犯人探しをして解決したくなりますが、
結局は現状を受け止めて、
相手(教師、子、親)を変えることより
受け止め方を変えながら成長を支えるってことかと。
実は今も私、その連続です。
学生終わった子どもなのに、子育ても自分育ても終わりは見えません。
ストレスたまるし、正直、辛いときありです~( ;∀;)
自分へのエールも込めてまとめました。