山村留学 次男のIQが上がったのはケガの巧妙?
夫を残し母子で山村留学に行きました。
今は廃校になった、全校児童が20名もいない小学校でした。
地域は広いけれど、集落は狭いので、いつどこでだれが何をしているか、全部知れ渡っているようでした。
どんなお客さんがきていて何時までいたか
夜は何時まで起きていたか
全部、学校の先生のところに情報が集まっていたようです。
ついでに、うちの子どもたちは家のことを何でも学校で話すタイプなので
先生は、親以上にいろいろ詳しく知っていたと思います。
こういう生活は、息が詰まりそうなときもあるけれど、
次男にとってはプラスになったと思います。
立ちションを学校に通報される
なんでもばれてしまいます。
こそこそ次男は、こそこそできなくなりました。
学校から電話がありました。
「実は、近所から立ちションしているとクレームがありまして」
えーっ、なんてことでしょう。
近所にはわたしなりに気を使っていただけに冷や汗です(~_~;)
次男の言いわけ「トイレが怖かった」
うそじゃないみたいです。
家のトイレは「行く途中がこわい」。
これ、納得がいきます。
暗い廊下を歩いて角を曲がっていくんです。
確かに薄暗い廊下。しかも行きつく先は「ぼっとんトイレ」。
わたしもこわいです。
学校は新しく開放的な建物。
何がこわいのかとと思ったら、
「いつも人がいてこっちを見ている」。
はぁ?何を言っているの? と思いつつ確かめに行くと
彼のいうようにいました、いました!
確かに人に見えます。
トイレの不自然な場所に、温度調節機器があり、そこに妙に目立つ黒い大きなスイッチがあります。
自分からこわいと言いだせない
それならそれで、怖いって言えばいいのに、わたしに言えないんですね。
相談することが思い浮かばないのか。
話すのがめんどうなのか。
なんにも考えていないのか。
悪いとわかっているけど、だれも見ていないと思ったのか。
立ちション、けっこう頻繁にしていたようなのですが、
わたし、気付かなかったんです。
これが、幼稚園児ならまだ可愛げがあるけれど、
高学年で、それなりの身長があったので受け入れがたいですよね。
立ちションはすぐにやらなくなった
住宅のトイレは、どうしたら怖くないかを話し合い、途中にたくさんのディズニーの絵を貼ることにしました。
学校は、トイレのスイッチの色を変えると言ってくれました。
でも、先生が一緒に行くようにしてくれるなど気に掛けることで、一人で行くようになりました。
教えればできるんですね。すぐに立ちションはなくなりました。
マラソン大会の応援に行くと・・・
マラソン大会では学校の近くを走ります。
保護者は沿道に応援に行きます。
わたしも行きました。
わたしのそばを走り過ぎるときに
次男はわたしに
「人の苦しんでいるのがそんなにおもしろいのかよ」
一瞬、何を言われたわからなかったのですが
はっきり、わたしに言い捨てていきました。
そんなこと思うの???
わたし笑っていた?
応援で怒った顔する人いないし。
応援のつもりが、応援になっていなかったとは・・・。
ひがみっぽい言葉が多い
小さいときはにこにこしていたのに
いつのまにか、いつもおもしろくない顔をするようになっていて。
責任感が強く、やさしいのですが、
そういう人の悪意を勝手に感じることや、文句が多いので先生や子どもたちはたいへんだったと思います。
山村留学が終ってからのWISCⅢの検査結果が上がっていた
次男は、初診の検査結果と、その2年半後、山村留学から戻ってから受けたWISCⅢの結果が大きく変わっていました。
今は、WISCⅣが使われているので、参考にならないかもしれませんが部分的に掲載します。
低かった動作性IQが16上がり、全検査IQは9上がりました
動作性IQの中でも、次男は、目で見たいろいろなことを関連させてまとめる力、実際に行う力が弱かったのです。
これって、工作の部品見て、どこをどうつなげるのがちんぷんかんぷんってこと。
教えてもらっても、たぶん、何がわからないのか、何をやるのかも理解に苦しみ、なおかつやろうと思っていることがイメージ通りできなかったのかも。
その力が伸びたので、動作性IQと言語性IQの差は21から7に減りました。
口の達者さに、イメージ力と行動が少しついてきたのです。
この2年後の検査では、動作性IQがさらに13上がっているので、山村留学後の検査結果は一時的ではないようです。
一度つながった理解が、中学生になってからもゆっくり伸びていったのかもしれません。
㊟山村留学で明らかに知能検査の結果がよくなったのは次男だけです
動作性IQが伸びたのはなぜ?
この苦手な部分が伸びた大きなきっかけは、大きく4つあると私は思います。
1番目、たくさんの木工体験と陶芸体験
何度も触って、何度も作り続けたのです。
決まった時間でせかされ仕上げるのではなく、自分のペースでできるまで作りました。
長期休みは、一人で木工コーナーに通い、大きな引きだしを作ってきたこともあります。
手の触感もたくさん使ったことも脳の刺激になったのではないかと想像します。
2番目、隠せなかった行いと、受け止めてくれた対応
すぐにばれてしまうので、噓が通用しなくなりました。
でまかせで言った言葉に対しても、学校と家庭で協力し、次男の言葉に合わせて少しでもやりやすいように変えていきました。
できないこと、したくないことから逃げられなくなったのでは。
3番目、次男を中心にした家族の遊び
ほぼ毎週出かけた観光、自然体験。
これは、長男抜きで行くことが多かったのです。
次男とわたしの2人で通ったサークルもありました。
意図的にしたわけではないのですが、この、次男がメインのおでかけは必要だったと感じています。
4番目 指を8針ぐらい縫うけが
カマでざっくり指のつけ根の近くを切ったのです。
事前に注意も受け、危ないと思っていながら、「あーっ」ってやってしまったと。
次男は、泣きもわめきもせず、淡々としていたそうです。
このことがあってから、やっていることに少しまとまりがでてきたように思いました。
運動神経は悪くないのですが、絵、字、工作などは雑でいきあたりばったりでした。
その不器用さが一段落ついたような感じです。
指示が前より理解できるようになったような。
見通しをつけやすくなったような。
人の話をまともに受け止めているような。
このケガがあって、いろいろな経験が繋がっていったようにみえました。
個人的な友だちは「0」
学校や行事では仲良く遊びますし、家に遊びに来る子もいましたが
2年弱の山村留学の間、次男には個人的に行き来をする友だちは一人もできませんでした。
性格のせいか、男の子が少なかったせいか、成り行きか、分からないです。
でも、学校生活は楽しく過ごしていました。先生の力は大きいです。
大人同士のあり得ないできごとは豊富にあったけれど、分かり合えた人たちもいました。
ずっと家族キャンプをしているような時間。
一番楽しんだのは、わたしかもしれない。
次男はどう思っているのだろう。
どのくらい覚えているのだろう。