それでも意味ありますか?
わたしが子育てをしたころ、怒らないしつけが全盛期でした。
実家がいつも言い争いをしていたので、穏やかな家族に憧れたのかもしれません。
怒っている自分になるのは好きではないですが、やるべきことは教えていました。でも思うようにはならず。
個人懇談
小学6年のときの個人懇談
たいてい、はじめに子どものよいところを話してから本題にはいるようです。
このときも、そういう流れで始まりました。
何を褒められたのかは覚えていないのですが、ちょっとわざとらしいと思ってきいていました。
その後の展開はなかなか忘れられません。
先生は、意を決したように
「このままではお子さんは社会に出ることができません」
「忘れ物をしないようにさせてください」
という、よくあるセリフが出てきて。
小学校のころ忘れ物が多いことが社会に出るときそこまで影響かあるのでしょうか。
今なら、これは先生の不安と思い、軽く聞き流すかもしれないけれど
なんでも正面から受け止めるわたしにはそれができなくて。
わたしは率直な気持ちを伝えました。
- 娘には、忘れ物をして自分で困ってもらおうと思っている
- わたしからの助けや関わりを嫌がっていて、これ以上何かするように言うことに躊躇がある
先生は引き下がらない。
わたしは続けて
- 娘に言ってもやらない
- わたしと一緒にするのも嫌がると思う
- 親が忘れ物に関して何かできるとしたら、嫌がっても代わりにわたしが用意することになる
わたし:「それでも意味がありますか?」
先生:「はい、やってください」
わたし:「わかりました」
わたしは悔しくて涙がでてきて。
ついでに意地になり、そこまで言うならどうなるかやってやろうじゃないの
と闘争本能が出てきました。
なんでここで戦いモードで意地になるんでしょうね。
持ち物の用意
家に帰ると、娘に、学校で忘れ物について言われたこと、娘にとって学習道具を用意していくのはとても大切だということを手短に話しました。
どうしたらよいかを相談しようとしましたが、やはり、険悪。
楽しい話はするけれど、何かをするように言われると手のひらを返すように不機嫌になる。
そうすると、こちらも負けていられない気持ちができてきて、3つのうちのどれかを選ぶように話した。
- 寝る前に自分で用意する
- 寝る前にわたしと一緒に用意する
- 寝る前にわたしが代わりに用意する
娘は、「勝手にしたら」と、目を合わさないで言いました。
大切なのは、忘れ物をしないという結果ではなくて、
娘がそのことをどう思っているか
先生に、忘れ物のことどう言われていたのか
学校は楽しく過ごせているのか
そういう娘の思いのはずなのに
意地になっているわたしは、先生に、見せてやろうじゃないのという気持ちでメラメラと闘志を燃やしやり始めました。
初日の分:カンペキ。
2日目の分:できたと思う。
3日目の分:「ちょっと、これ自分で入れて」・・・むすっとした顔をしているけれど自分で入れた。
3日目に学校から帰ってきて、今日も忘れ物ない!
そうわたしは思ったが、忘れたそうで。
机の上に筆箱忘れていっていました!
道具をそろえたあと、使うために出して、それをもう一度入れるのを忘れたと。
あー・・・そうよね~、そういうことあるよね~
わたしもよく病院に行く前に診察券を確認し、それを置き忘れていくから~。
5日目の分だったと思う、わたしも見ているときに自分で用意していました。
こんな険悪なかんじでやらせること、どうなのかな。
まぁ、これは普通のことなんだから、
わたしが教えられないのだから仕方ないか、などと自問自答。
その日帰ってきて、忘れ物なかったね、と話していたら、
「この時間わり変だ!」と娘が言います。
時間割通りに持っていたのに!
よく見てみると、曜日の列を間違えて用意していったのです。
そういう単純なミス。
なんだか愛おしくなってしまいます。
学校での対応
「学校で忘れ物をしなかったとき、先生は何て言うの?」
と遅ればせながらきいてみると
「別に」
「私よりもっと忘れる人いるし」
「いつも、なんにも言われないよ」
娘は淡々と冷静に言います。
このときはじめて状況が少し分かっりました。
娘は忘れ物について危機感をもっていないし、いままでも注意されたと思っていません。
わたしは、娘の持ち物が揃っているときは、何か声掛けとかしていると思いこんでいました。
それに、今まで先生が忘れ物の指導をどのようにしたのかも確認していなかったのです。
忘れ物をなくすフォローやめました
頑張って用意しても凡ミスで忘れ物をしてしまう娘。
8日ぐらいで3~4回の凡ミス
ということは確率は40~50%
それでも母親の干渉をがまんして精一杯用意したのです。
わたしがそれをもう一度チェックしたらどうなる?
あなたのことは信用できませんと言っているようなもの。
親が管理できていないことは素直に認め、1週間半で、持ち物チェックはやめです。
いままで、なんて間抜けなことしていたんだろう。
娘より、担任を気にしていたなんて。
「先生の不安」といいつつ、わたしも不安があったと思います。
でも、忘れ物したってなんとかなる。
ところで担任は、懇談であんなに強いもの言いしたのに、その後、なんの話もない。
あの話はなんだったのだろう。
小遣い帳つけをしつこくやらせたことの修復の道半ばに、
さらに傷を深めたのがこの忘れ物撲滅運動でした。
そして、部屋の片づけ、長期休みの計画、テスト勉強の計画など、みごとにやらないものがたくさんあった娘。
最小限の声掛けをしていたつもりですが、見透かされていたのか、ただめんどうだったのか、無言でやらないという関係が長く続きます。
今、やっと少し先に光が見えつつありますが、まだあやしい。
肝心なことを後回しにします(~_~;)
ブログを書いて、子育て振り返ると
いつも、なんて不器用な子育てをしてきたことかと思い知らされます。
まるで懺悔ブログ。
ブログ名変えたほうがいいかもしれないです。
娘が気持ちを話しにくいのは、わたしが目の前のことでいっぱいで、ゆっくり娘と対応していないのも一因かな。
そのときそのとき精一杯やってきた自分を褒めてと、力づけの言葉をいただくこともあります。
でも、頭で納得してもやっぱり何かのとき、元気がでなくなります。
そんなとき、
あははぁ、そうだなぁって思えたのは、樹木希林のことばです。
私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくていいじゃない。
だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。
(2015.8.22. 登校拒否・不登校を考える全国合宿IN山口 樹木希林の講演より)
わたしは深刻に受け止めて悩んではいなかったけれど、この講演の言葉を読んで、いいなぁこの感覚と思いました。
「自分の変化を楽しんだ方が得ですよ」樹木希林
たくさんの本が出ているので、もうご覧になっているかもしれませんね。
わたしが書きとめていたのはこんな言葉
「自分の変化を楽しんだ方が得ですよ」
「世の家族が崩壊しないのは、女の粘り強さですよ」
「人間でも、一回ダメになった人が好きなんです」
「生きるのに精一杯という人が、だいたい見事な人生を送りますね」
樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常 (DVDブック)
なんか、自分のうまくできなさも意味あるものと肯定された感じになります。
つい、がんばっちゃうけれど、まぁ流れて行こうかと思えて。