5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますという話。

子育てで肝心なことを飛ばしていた

わたしには、何でも話せる仲のよい姉がいる。

ときどき用事のついでに泊まっていく。

外部の方で、家族みんなが慣れている唯一のお方

よくしゃべる、ずっとしゃべっている。

でも、一方的にしゃべっているようでいて、そうではない。

それは、ものすごい気を回している方だから。

違和感なくこの家族と過ごせるのは慣れだけではない。

その気遣い、心遣い、体使い。

ほんとうにありがたい。

 

姉がしていたこと

先日、珍しく数日お泊りにきていた。

わたしが失業中で時間たっぷりあるのでゆっくりしてしてとお誘いしたから。

いままで泊まったときは、

わたしの出勤に合わせて家を出るので、ばたばたしていたが

今回は、一緒にのんびり家族を見送った。

・・・でも、姉は出かける用事があるのでのんびりではない。

わたしがのんびりできただけ。

 ひとり行き、ふたり行き、姉は忙しいはずなのに、ゆったりそれぞれを外に出て見送っている。

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 Alexas_FotosによるPixabayからの画像 



そういえば、わたしそういうことしていないなぁ

 

わたしは、夫を見送ることは、ときどきある。

でも、残りみんなのお弁当作りやなんやで佳境にはいり、

最近は窓ごしに手を振るぐらい。

 

 

子どもたちにも、

「はぁい、いってらっしゃぁい」と言って終り。

朝、ゆったり家にいるようになっても、その習慣のままでいた。

子どもたちも成人して、そんなことを考えもしなかった。

 

姉が娘を見送ったとき、なんか娘の感触がよい。

まんざらでもない様子。

 

えー、そうなんだ、

心地よいのか、

姉だからかなぁ・・・

と思いつつ、次の日からわたしもやってみた。

やっぱり悪くないみたい

 

ぎっちぎちに見送るのではなく、

なんとなく流れで「いってらっしゃい」をする。

 

一歩出てから、雨降るかなぁ~と呟く娘に、

わたしが家に取りに行き、「持っていく?」 と声をかけたり。

大人でもこういうのっていいんだなぁって。

 

そういえば、母子の密度が高かった山村留学から帰ってきて

間もなく、次男の送迎、わたしのパート、勉強、仕事とフル回転が続いていた。

家は休める場所

知人から、登校渋りのこどもを朝、外で見送るという話をきいたことがあった。

「これから戦場のような学校に向かう子ども、

行くと決めているなら、

せめて朝なごやかに元気に送り出す。

家に帰ったらゆっくり休めるよ、待っているよ、無事で行ってきて、無理しすぎないでと声に出さずに全身全霊で祈りながら送り出す。」

どんないい話も人ごと

「へぇー すごいなぁ」とは思ったけれど、

当時のわたしは、

子どもが登校しぶりをしていても、

うちの子にとって戦場とは思えないし・・・ってかんじで。

ただだらだらめんどうがって、親を試しているのかって・・・。

わたしのこころが乱れていて、

「無理させる必要はない」と思うと同時に「行ってほしい気持ち」に捕らわれていたと思う。

そもそも、うちの子、自分で行くって決めていないし、人ごとのはなし。

 

それを今になって思い出すとは。

 

娘の変化

姉が帰ってからも、ときどき朝の見送りをしている。

そのせいかどうか

じわじわ、娘の報告、要求が出るようになった。

まだ、正面から言ってこないが

「おかあさん、今日は夜ごはんいらないから」

「おかあさん、これ(DVD)返しておいてくれる?」

「おかあさん、わたしも朝ごはん食べたいな」

 

必ず「おかあさん」が冒頭にくる

 

考えてから言っているのか

つい緊張するのか

無意識に出ていると思うので、なにか自分の中での区切りなのか

今は、「おかあさん」と言われたとき、わたしが緊張している(笑)

 

いままで娘には、

「〇〇してほしいと思っているよ」 

「気持ちを話していいんだよ」

「〇〇だからこのときはこうしよう」

とか、伝わるように言ってきたつもり。

でも、言葉がけはどうであろうと、こういうのは、結局は要求

わたしの要求が満たされることは少なく

分かっているのかいないのか、もう野放しになっているこのごろだったけれど

言い続けたことは無駄ではなかったということだろうか?

育つうえで肝心なこと

言葉の伝え方云々ではなく

必要だったのは、彼女にとっての安心感、

それは、受け入れられている実体験

娘の場合は、お見送りでそれが入ったのか?

 

ほかにもひとつ、思い当たることはあるけれど

どちらにしても、

何かをさせようとして、何かをすると、うまくいくことは少ないなぁって。

 

わたしが心理の勉強したり、訓練を受けることとは別、

余裕をもって普通の関わるだけで

くどくど言い続けてきたことが

自然にできるようになってきている

 

なんて遠回りなことをしてきたのか

 

もちろん、タイミングもあると思う

わたしの凝り固まった頭が、今は少し柔らかくなってきているのかもしないし。

やり方に走らず、のんびり普通の生活をしていこう。

今、家族みんなの見送りをすることが増えている。

手ごたえのあった面接に落ちたけれど、これは失業の恵み!

もうしばらく家族の足場固め!

・・・~と合理化します。