勘違い子育て
よさそうなこと、使えそうなことは何でもすぐやってしまうわたし
二十歳のころ、専門学校に行っていたとき
英語講師として来ていて大学教授と寮生7、8人で飲みにいきました。
その教授、何を思ったか、
この中で一番だましやすい人だれだと思う?
皆に問いかけました。
みんないろいろ言っていました。
わたしは、友だちと仲良く話しながら遠目で様子を見ていました。
その講師の答えは「わたし」
こんなに年月がたっているのに、まだ鮮明に覚えているあの衝撃!
「えー、なんでわたしなの?」
「何を根拠にそんな・・・」
「先生と話したことないのにどうしてわかるんですか??? 」
絶対だまされるタイプではないと思っていただけに
何度も理由をきいたけれど
にやにやして教えてくれないんです。
そのときは、そんなはずないと認めなかったけれど
すぐ真に受けて言われたことを信じちゃうところがまさに・・・
と今は思います。
わたし、すぐ信じるのでホントだまされます。
だまされても騙されたと思わず、まだ信じているあたり本物。
素人には、しっかりしていそうにみえると思っています。
遊び人はお見通しかな?
朝の不調は詐病
次男が中2のとき、
朝、青い顔をして起きてきて、具合悪いという。
すぐ信じます。
学校に行かない日が増え
笑顔や意欲も減り続け
気分障害と診断されました。
数年後、あのころは学校に行きたくなくて
前の日、わざと遅くまで起きていて具合を悪くしていたと。
騙されていても信じようと思っていたけれど
やっぱり騙されていた(笑)
子どもに心から謝ると行動が改善?
なにやらよからぬことが立て続けに発覚していたとき
友だちに愚痴愚痴といろいろ話していました。
その友だち、実体験を教えてくれました。
子どもに今までのこと謝ったの。
「淋しい思いさせたね。これできなくて、あれできなくて、分かってあげれなくてごめんね。ほんとうにもうしわけないと思っているの。」
心からそう思ったからそう伝えて、子どもと二人で泣いたの。
それから子供が目に見えて落ち着いて・・・
これだ!
さっそくやってみよう!
ちょうどいい具合に、家に次男と二人のときがありました。
長男にやられていたのを守ってあげられなかったし
長男が起こしたいざこざに振り回されていたし
次男が飴やお菓子をもらってくると「また一人でお菓子もらって」とか冷たく言っちゃったし
アレルギー用の除去食で、食べたいのをがまんしていたはずだし
記憶力抜群の長男に慣れていて、字や英語の覚え悪くてため息ついたとき淋しそうだったし
いろいろ思い当たることあるあるで。
自虐ネタ話す勢いで、ごめんねと。
うまい具合に涙まで出てきて切々とあやまりました。
独り相撲
二人で感動の場面
とはならなかった。
わたしの言い方もまずかった。
ポイントが母のザンゲになっていた。
なんか、通じなくて、
あれ、こんなはずじゃないよなぁ、へんだなぁ
こんなこと、あんなことがあったとか・・・いろいろ説明したような気もするし。
いきなり足蹴りされていたとか・・・真実性を訴えて
次男は、あっさり、ふーん、別に~、覚えていないけど。
記憶の上書き
数か月たって、なにかのとき、
「かあさんおれのこと守らなかったよね」
記憶にないと言っていたのに、わたしのザンゲが彼の記憶として上書きされている。
そして、わたしは責められた。
勘違い子育て
・・・わたしは目が点。
人の成功例を真に受けて
「こころの傷が不登校の原因」と決めつけ修復しようとして墓穴掘りました。
当時の登校しぶりは、どこまでほんとで、どこまでが作った体調か、
だれにも、本人にもわからないのでは・・・。
不登校の原因探し
不登校の理由。
きっかけはあっても、それが理由ではないことがほとんどでは?
周囲は安心したくて、合理的な理由をみつけようとします。
ときどき本人も。
これ心理学でいう「合理化」*1 かな。
と自分の脳に対して思います。
わたし、特に自分の身に降りかかることについてはこの二つ使っていること多いです。
なんかまとめようとして、いろいろすっ飛ばすんです。
話しを戻して
仮に、友だちからのいじめだとして
それは大きくまとめた出来事で、
困りごとは、いじめっこへの恐怖、今後の不安、学校での自分の立場、自分自身への否定的な思い、先生への不信感、勉強がわからない、などなどその人によりさまざま。
ここに親が入り込むと疲れ果てるの当然です。
いじめが無くなったらすぐ登校できるというような単純な計算にはならないですし。
これ、根っこの深くないきっかけの場合、発達障害傾向のほうが、単純に戻れる場合が多いように思います。
次男の場合、なんかいろいろ言っていましたが、根は深くありませんでした。
勝手に行かなくなったので。
そして、不登校はあらわれのひとつで、それが彼の問題ではないと思います。
この題材で書きだすとまた止まらなくなるので、機会があればまた。
とにかく、わたしが焦って劇的な回復を狙った行いは失敗。
発達障害傾向の子は、親とのやりとり、そこまで全体を把握していないですよね。
記憶の上書きはどうなった?
今も「涙ながらに母が言っていた真実」として、自分の記憶として上書きされたまま。
わたしを信じたともいえます(笑)
それでも、しょうもない親と思ったことはよかったかもしれない。
わたしは次男のこころのサンドバックにされたように思うけれど
無意識としてあるかもしれない長男やわたしへの恨み、
少しははらせたかもしれない。
記憶の上書きはちょっと悔しいけれど、悪くはなかったということにしておきます。
兄弟げんかの行方
長男が小中学生のころの兄弟仲は最悪で、
一緒に遊んでいた長男の友だちは次男のことを心配していました。
学校で兄弟が出会う様子を見ていた先生たちにも何度も心配されました。
正直、わたしの手に負えませんでした。
わたしの先生たちへの返答は
あー、いつもそうなんですよね~と軽い返事。
たいへんなときほど、顔は穏やかになるときがあります。
この親にしてこの子ありと思わせたと。
今の自分がその場に戻れるなら、
本心に関わらず、真剣なまなざしで、先生どうしたらいいでしょうと聞くんですが。
どうやってけんかが収まったのか、毎日が必死であまり記憶がないのです。
わたしがワナワナとぶちぎれ、けんかどころでなくなったことは何度かありました。
どうしたら分かるのか、祈りながら諭したこともあります。
ケンカを収めようとすると、かえってこじれ、
親判断の仲裁をひかえ、二人の距離をおくようにもしましたが、
一緒に住んでますし距離近いです。
子どもたちは、誰かにいいとこみせようという思考がなく、本能のなすまま。
裏も表もなかったので、大人が感じていたほど当人たちにけんかの傷はないようです。
終わりよければすべてよし?
これは発達障害傾向のある子たちの愛すべき特質かと感じています。
逆にみると、他の子たちにいいようにされてしまうので、親は気が抜けないのです。
長男に通じた!
長男が高校生のとき
ぼそっと
「親ってすごいと思った、父さん母さんすごいわ」
次男のつじつまの合わない言葉や行動をみて、
「こりゃひどい、それなのに、ゆっくり相手をしていてすごい」
と思ったらしい(涙)
わたしが思うに、あなたのほうが、もっとひどかった(笑)
教えようとしても 教えられないことと
教えようとしなくても 教えられることがある。
兄弟がいてよかった。
そして自分で学べるようになる日がきたことに弟、妹の今後に希望が!